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2019年 5月 7日 飯島からの最後のコトバ
こんにちは!吉祥寺校担任の飯島です!
突然ですが、5月をもってこの吉祥寺校を卒業させていただくことになりました。今まで本当にお世話になりました。
生徒として3年間、スタッフとして4年間、合わせて7年間この校舎にいました。
小学校よりも長い!僕自身、こんなに長くこの校舎にいることになるとは思っていませんでした。
ということで、これで最後のブログになるわけですが、せっかくの機会なので、僕が受験において最も大切だと思うことをお話しします。年長担任助手からの最後の言葉だと思って、読んでいただけると幸いです。
みなさんにとって、「大学受験」とは何でしょうか。東進に通っていると、よく「夢に向けての通過点」「第一志望合格は目的ではなく目標」といった話をされると思います。
実際、僕自身もその通りだと思うわけですが、「受験において何が一番大切か」と考えると、その答えはこれらの考え方から簡単に導けるようなものでもないでしょう。
受験を終えた受験生に残されるものは、いったい何でしょうか。すぐに思いつくのは「結果」です。それはいわゆる合否です。合否が受験の総括を大きく左右することは言うまでもありません。
しかし、受験を通して得られるものは、大学の合格や不合格、あるいは(センターなどの)試験の点数といったものだけではありません。ここではまず、受験勉強から得られる「頭の力」について話します。
数学を通して論理的に考えることを学んだり、国語を通して他者の考えや文字で書かれた世界観の解釈の仕方を学んだり、受験勉強で得られるものは単純な知識だけではなく、こういった「思考力」のような部分も大きいのです。
自分は特に受験の物理と現代文を通して、こういった頭の力を得ることができたと思っています。また、東進のスタッフは皆大学受験を通ってきているわけですが、バックグラウンド、ここでは受験の時に選択した教科(場合によっては科目)が違うと、持っている知識だけではなく物事を考える上での基盤となる「考え方」や「整理の仕方」が違うように感じることが多いです。
受験を通して得られるものはまだ他にもあります。それは大学受験という非常に大きな山を越えるために、様々な試練に立ち向かったという「経験」です。僕はこれが一番大切だと思っています。
たとえば、勉強が嫌いな人であれば、受験を通して「嫌いなものに立ち向かった」という経験が得られます。そして、そのうえで受験勉強をやり切れれば、それは「嫌いなものと向き合い、それに打ち勝った」という経験になります。もし仮に受験結果が振るわずとも、自分の中で「やりきった!」という感覚があれば、それは他の誰が何と言おうとも貴重な経験であり、なによりも自信を持ち、誇りに思うべきことです。
勉強が好きな人でも、長期的な計画を持ってやるのが苦手だったり、飽きっぽくて長続きしなかったりという人もいますし、メンタルがあまり強くないという人などは自分の弱さと向き合い、そこに打ち勝つきっかけとなるでしょう。
受験を経て、得られるこういった経験は、何物にも代えがたいものです。もっと言ってしまえば、受験結果よりも大切なものだと僕は思っています。
僕は受験を通して、「やれば自分でもできる」という自信を得たり、「やりきれないとこんなに悔しい思いをするのか」といった今までにない経験をしたりしました。皆さんは、受験を通して何を得たいですか。大学受験は、自分の力だけで結果を残せる最後のチャンスです。
受験の見た目上の結果、いわゆる合否は周りとの闘いで決まりますが、受験の中身、過程、総括といったようなものは己との闘いで決まります。どんな受験生活になるかは、皆さん自身次第です。
自分の弱さと本気で向き合い、大いに成長してください。皆さんの健闘を心から祈っています。
吉祥寺校 担任 飯島裕貴