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2022年 2月 22日 受験の終わりも意外と静かに、、、〜それは始まりの合図?!〜
こんにちは、担任助手の今井です。
最近やっと忙しくなってきて、大学生になったことを実感しつつあります。2年生です。
今日は相も変わらず受験学年の応援をしていようと思います。
、、、、と思ったのですが、
個人的に低学年の子にも書きたいことあるし前回ブログから随分時間も経ってしまっているし、という事を考慮して今回は、
前半受験生の応援、後半低学年応援の二本立てでいこうと思います。
まずは受験生の応援からですね。
受験生の応援とはいえ、この時期ともなるともう全て終わってしまっている人もいるかとは思います。温かい目で見守っていてください。
まずは、国公立大学志望者など今もまだ受験をしている皆さんへ。
言いたいことは以前とあまり変わりません。
というかこの時期に変なことを言われて動揺しても困りますよね。これまで、自分の目標に向かって出来ることは悔いなくできた、という人は気持ちを強く持って最後まで走り続けることを考えてください!
今まで幾つかの試験を受けてきたならばそういう経験を上手く活かして、本番試験のシミュレーションをしっかりしましょう。必要以上に相手を大きくする必要はないです。
もうやってしまったことは、情報以上のものとして振り返らないといいと思います。turn a deaf ear to my mistakesってやつですね。今ある現状(自分の実力)は正しく認識しつつ、これからすべき事を常に考え続けて下さい。
いづれにせよ、(後期を除けば)あと一週間ほどなので今更努力は惜しまず、後悔のないように全てできることをやりきって下さい。
頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れファイファイファイト頑張れえええええ!
次に、もう一通り受験が終わってしまった人たちへ。
受験の終わりって意外とあっけなく訪れてしまいますよね。感傷に浸るのも良いことだと思います。が、いつまでもそうしているわけにもいきません。受験を終えた皆さんには、本来自分の目指すところを再確認しまた次の段階に目を向けて欲しいと思います。
終わったら、すぐに遊びまくれ!!!!!、、、とは言いません。(遊んでもいいとは思いますが!)
ただ終わったら次に行ったり遊んだりする前に
ちゃんと総括をしましょう。というのは確認したいです。
何事もやり捨てはいけませんね。
問題演習と同じです。こういう体験一般に関しても、やり捨ててしまうのと事後しっかりその経験と改めて向かい合ってみるのとでは、得られるものは変わってくると思います。
受験というのは、
(自分で設定したものであれ、自分の意思に関係なく飛び込んできたものであれ)ある課題(目標)に対して、
課題解決のために必要な要素を割り出して、各要素ごとに達成へ向けたアプローチを仕掛けていき、定期的に自己分析をして適宜軌道修正をしていく、
という、ある意味これから皆さんが自分自身さらには社会全体へ善をなそうと考える上で本質的になってくる(と自分は思っている)課題解決のサイクルの最も典型的な演習材料であったと捉えることもできます。
どういう結果に終わったとしても、今後のためにちゃんと振り返っておきましょう。
長期的にみて、自分の高校時代の試合運びはどうだったか、
ここ数ヶ月のスケールだけでも、しっかり自分のできる限りの努力は重ねられたかどうか、
細かい事でもなんでも、良いところも悪かったところもちゃんとまとめて、そしてこれからの事に改めて目を向けてみましょう。自分の中でしっかり今回の体験をまとめ完結させることで、その受験体験は”進学先の振り分け体験”以上の価値を持ち
この先の自身をずっと支えてくれるのだと思います。
もう少し、お話したいこともあった気がしますが忘れてしまったのと別の話題もあるのとなので、受験生応援はここ辺りで区切らせて貰おうかなと思います。
次は、低学年応援ですね。
今日は、最近低学年の皆さんと接する機会が多くなってきて感じるようになったことなどを書いていこうと思います。
メッセージを一言でまとめようするならば、ちゃんとやってよ(伝われ)、という事です。(一応塾のブログなので、受験勉強についてお話させてもらっているという認識でお願いします。)
これだけ言われてもしょうがないですよね。
なぜこういう事を書きたくなったかというと、最近意外と低学年の子には”ちゃんと”学習を進められていない子が多いのではないかと感じるようになったからです。努力量だけのお話ではありません。
今回はこれから目標に向かっていくにあたって努力量が結果を左右する重要な要素となることは前提として
そもそもどう何をすればいいか分からなかったり、何かを始めようと思ってもすぐに躓いてしまったり、努力が空振りをしてしまっていたり、などしている人たちに向けて、努力の仕方について個人的に考えている事をお話できたらいいなあと思います。
正直とっかかりとして、具体的に何に取り組むか・何を頼りにするかはあまり関係ないと思います。むしろ、その取り組み方、つまりある題材に対してどの程度の理解に達していれば良いのか・どういう理解の仕方をすれば良いのか、が非常に大事な気がします。
ここで詳しく書くにはどうしても限界があるのですが、そもそも勉強が長く続かない人や頑張っていても成績が伸びないてこない子が、一番改善するべきな事は、このどう勉強するか、の部分な気がします。
所謂”できる”人たちならば自分で、どうやって勉強していくか、を自分なりに試行錯誤して進んでいくことはできるのですが、最初から”できる”人はそんなにたくさんいないと思います。ので、勉強の仕方が分からなかったり、成績がなかなか伸びないといった人は思い切って”できる”人に踏み込んで勉強の仕方を聞いて自分の考え方が合っているか足りているかを確認しつつ、”できる”感覚を感じて欲しいです!
今、”考え方”というワードで思い出したのですが、勉強について機械的に色々丸暗記という勉強は控えたほうがいいと思います。そもそも勉強(学問)というのは富裕層の娯楽的な一面もありますが、一方で実生活においてより人間の生活を豊かにするために発展してきたという側面もあると思います。ということは、根本的なアイデアとして勉強というものはそもそも、実生活レベルでの問題解決を志向する、目的ありきの体系であるということができると思います。今、勉強で伸び悩んでいる皆さんにはこの事を改めて再認識してほしいと思います。
日常生活の中で問題が起こったら原因を探し当てて解決するように、問題が与えられたら分からない部分を探してそれを求めれば良いのです。
少し抽象的な表現ですし、高校レベルの勉強では実生活レベルまでもなかなか結びつかないので、イメージしづらいかもしれませんが、よく見ると高校レベルの問題においても、設問の解答をゴールとするなら、そこにちゃんと目的に向かって組み上げられていく構造があります。
少し話はそれますが、ここから日常生活の中で所謂”できる”人が勉強すれば勉強も”できて”しまう、逆に日常生活で入ってくる情報を漫然と受け取るだけでなくそこから思考をめぐらしたり、問題を見出したり、問題解決に用いたり、ということをする事が、勉強の”できる”に繋がってくるということも納得できますね。(例外はもちろんありますが)
こういう部分が見えてくると、色々な知識を体系的に整理しやすくなり勉強も楽しくなってくると思います。あまり根を詰めすぎて嫌になることも少なくなってくると思います。(こんを詰めるべき時もありますが。)だって、机の前にいない時間にも学習してしまっているのですから。日常的に経験している情報処理サイクルを数字や言葉に置き換えるだけでいいのですから。
話は戻りますが、こういう部分があるからこそ今勉強に関してつまづいていたりする人は、人に聞いてみたり日々の過ごし方を少しづつ変えていったりしてみて下さい!!というのが今回の自分からのメッセージです。
逆に今ある程度自分の学習が軌道にのっており結果もついてきているような実感のある人は、多少詰まった時も少し自分で解決は本当にできないのか粘ってみるようにしましょう。
いづれにせよ、ちょうど何かを始めるのにはいい機会だと思うので、今後の自分がどういう風に過ごしていくべきかについて改めて自分で考えを巡らせられると素晴らしいと思います。
受験も本人が走り始めたところからがスタートなので、スタートをいち早く切って目標に対して一目散に走って行って下さい!!
担任助手 今井