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2021年 8月 3日 高3でオープンキャンパスに行くのはあり?!
こんにちは!
多くの大学生が夏休みを謳歌しているなか、ひと足遅い試験期間に入り切羽詰まっている岩里です( ;∀;)
早いもので、夏休み期間も既に1/3が終わりましたね。最後まで気合い入れて頑張りましょう!!
さて、今日は高3向けの内容です。
夏休みであるこの時期、殆どの大学がオープンキャンパスを開催しています。形式は予約必須の対面形式からオンライン形式まで様々ですが、オープンキャンパスに行くということは、受験生が最も大切にしているであろう時間を使うことになるわけです。
そこでこの時期になると「高3のこの時期にわざわざ時間を使ってオープンキャンパスに行くのはありですか?」といった質問をされることがあります(私は担任助手2年目ですが、2年連続でこの質問をされました)。
結論から申し上げますが、絶対に行くべきです!
なぜならオープンキャンパスに行くということは、その大学を受験する可能性があるということ。すなわち、その大学に4年以上は通う可能性があるからです。
ホームページやパンフレットを使えばカリキュラムや特徴的なプログラム等の情報は得ることができます。しかし少なくとも4年以上は通う可能性がある、ということを念頭において少し考えてみてください。
実際に大学や学部の説明を聞いて「想像していたものと何かが違う」と感じたり、設備や雰囲気も含め複数校見学した結果、「今の第一志望よりもこの大学の方が合っているかも」と感じることがあるかもしれません。思ったより家からのアクセスが悪い、ということもあるかもしれません。
しかし、これらは実際に足を運んでみないと感じることは難しいため、高3であっても興味ある大学のオープンキャンパスには絶対に足を運ぶべきだと私は思います。
もしかしたら勉強時間を削ることに不安を覚える人がいるかもしれません。しかし、どの志望順位の大学に入学したとしても、多くの人はそこで4年以上学ぶことになります。上記のような「自分の想像との乖離」に、大学に入学してから気づいても遅いのです。
繰り返しますが、少なくとも4年以上は通う可能性がある大学を選ぶ大切な機会です。学年なんて気にせず、ぜひこの夏はオープンキャンパスに足を運んでみてください!
2021年 8月 1日 勝負の夏!
こんにちは!必修の試験とレポート地獄から少し解放された龍です!
毎日暑いですね、、、
受験学年にとっては最後の夏です!暑さに負けず頑張っていきましょう!
さて受験の天王山と呼ばれる夏に入りましたね
夏休みに入って2週間が経とうとしてる頃だと思います。世の中はオリンピック、緊急事態宣言、コロナ感染急拡大など大変な状況下にありますが、皆さんしっかり勉強できていますか?
31%
この数字は何を示しているでしょう。
実は1年間の勉強時間のうち夏休みの勉強時間が占める割合だそうです!!!
夏休みの勉強時間が1年間の3割以上も占めていることになります!
私もこのデータには驚きましたが、いかに夏休みが重要か分かると思います!!
夏休みも中盤に差し掛かる頃です。
9月からは学校も始まり高校最後の行事などもあるでしょう。
この夏休みに勉強量を確保できるよう、毎日の朝登校等頑張っていきましょう!!
受験生は夏が勝負です!
応援しています!
2021年 7月 27日 夏物語 〜ペンと教材に恋をして〜
こんにちは!
久しぶりにブログを書きます今井です。
自分がブログを担当するのは4回目ですね。前回はなんとなく大学生活のお話をして終わり方も中途半端だったので続きを書こうかとも思いましたが、やっぱり受験学年の皆さんにとっては勝負の夏ですし何回もふざけた話を続けるのもせっかく読んでくれている人たちに失礼かなと思ったので今回はマジメ路線でいくことにしました。他の人と中身が似通うのは許して下さい。
皆さんに向けて何か書こうとすることで、自分の思考整理にも繋がったらいいなと思いつつ進めていきます。
主に受験学年の皆さんに向けて、、、
『恋』ってしてみたいですよね。この時点でもう今回のお話の結末が見えてきた!っていう人はもう大丈夫です。合っています。お疲れ様でした。
『恋は決闘です。右を見ていたり、左を見ていたりしたら敗北です』
これは自分が愛してやまない小説『ジャン・クリストフ』の著者である、ロマン・ロランの言葉です。
そうですよね。確かに色々目移りしてしまって心ここに在らずな感じだったら相手に嫌われてしまいますよね。
そう考えると受験学年の夏って最高の環境が整った時期ですよね、基本的に気が分散するものを徹底的に排除できるんですから。表現が少し過激になってしまったのは申し訳ない。でも、、、
今ってチャンスですよね?恋してみませんか?自分から勇気を出して相手に歩み寄ってみませんか?アタックしましょう。見逃し三振では何も変わりません。
ちなみに自分は今振り返るとこの時期確かに勉強に恋していましたね。携帯とか怠惰とか、そういうものが怖くてしょうがありませんでした。
思い切って相手と真面目に向き合えば、その行動は報われるかもしれません。夏以降、本試験シーズン、それ以降も自分を支えてくれる良きパートナーになってくれるかもしれません。もしその行動が報われなかったとしても、真面目に何かに向き合えたという経験は必ずこれからへと繋がる自信になります。
、、、、、という事で夏は
思いっ切り時間をかけて、自分の選んできた教材と向き合ってあげて下さい。隅々まで読み込んであげて下さい。どうしたらより深く自分のものになってくれるのか考え抜いて行動に移して下さい。
これらは方法に正解があるというものでもないので、自分なりの付き合い方を築き上げていく必要があります。
皆さんが相手と上手くいくように我々担任助手もできる限りのサポートをしていきますが、やはり最終的に相手に振り向いてもらい上手くいくためには本人の熱意を伝える必要があります。自分が考える最善の方法で常に相手と向き合っていきましょう。
夏は結局は自力本願で突っ走っていって下さい!自分たちも一生懸命支えていきます!
最後に少々話としての筋の跳躍がありましたが、お許しください。
他にも書きたいことは色々ありますがもう既に自己満足の域にドップリ浸かってしまっているので今回はここ辺りで区切らせて頂きます。とりあえずあと1ヶ月余り頑張って下さい、、、、
2021年 7月 26日 勉強と作業は紙一重?
みなさんこんにちは!担任助手1年の尾関です!
つい最近オリンピックが始まり東京は盛り上がりを見せていますね。みなさんの勉強の方はいかがでしょうか?体調管理に気をつけて頑張っていきましょう!
さて、今回は勉強というものについて僕なりの見解を書こうと思います。いきなり質問ですが、今あなたが勉強していると思っていることは本当に勉強ですか?意味のわからない質問ですね。僕が聞きたいことは作業になっていませんかということです。
例えば、受講ペースが遅れていて受講を早くやらなければならないとき、ノートを移すだけになっていませんか?提出ギリギリの課題を急いでやるときに解答を写すだけになっていませんか?ということです。言うまでもなくこれらのことは勉強ではなく作業です。では、定着している英単語を繰り返し見返すことは勉強ですか?僕はそれも作業だと思います。では、作業と勉強の違いはなんでしょうか?それは、思考をしているかとどうかということです。極端な例ですが、appleの和訳は?と聞かれてりんご!と答えるのにあなたは考えることをしましたか?おそらく誰もが反射的に答えられると思います。勉強をするときに、できるとわかっている問題を解くことほど無駄な時間はありません。言い換えれば定着しきっていることをやる必要はないのです。勉強とはわからないことに対して自分で考えることです。つまり思考をしていない限り、それは勉強とは言えないのです。
では、作業しないためにはどうすれば良いのでしょうか?作業と勉強を区別するための例として英単語を覚えることを例に出しましょう。まず始めに単語帳の全ての単語をどれくらい覚えているかチェックします。その時に一瞬で意味がわかった単語は何も書かず、ちょっと考えて2〜3秒かかってわかった単語には▲、わからなかった単語には✖️をつけてみてください。二周目にやるときは▲、✖️のマークがついている単語だけを行います。1周目と同じように行い、▲や✖️の単語が一瞬でわかるようになったら▲は空白に、✖︎は▲にします。これを3、4、5周と行って全部の単語が空白になるまで行います。全部の単語が空白になったら、一周目と同じように全ての単語テストを行います。これを繰り返していけばどんどん単語帳を回るペースは早くなります。この方法は英単語を覚えるときに関わらず何かの問題集をやるときにも使えると思います。
自分なりの作業を区別する方法について紹介しましたが、人それぞれやり方は違っていいと思います。とにかく自分が伝えたいとは作業をせずに勉強をしようということです!受験において時間は有限です。時間を有効に使っていきましょう!!残念なことにこのブログを読んでいる間にも時間は過ぎているのですよ、、、
担任助手1年 尾関
2021年 7月 25日 まず終わりを考える
今から約500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチが以下の言葉を残しています。
「十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。」
これは若い人に向けた言葉です。
あなたは自分の最期の時を想像したことはありますか。
死の間際、自らの生涯を振り返るとき、意味のある人生だったと思いたい。
誰もがそう願うはずです。
しかし(私を含め)若者は自分の最期の時など、遙か先のことだと思い込んでいるから、めったに想像をしない。というかしたくない。
ダ・ヴィンチは若者に忠告をしてくれているのです。
理想的な最期を十分にイメージし、それを成し遂げることができるように、毎日を大切に過ごさなければならない。そうすれば、「最期にこう在りたいから、今○○を為さなければならない」と考えることができ、決して無為に日々を過ごすことはなくなる。
冒頭の言葉は、人生論として語られたはずですが、生活の中のあらゆる場面に当てはめることもできます。80年の人生の終わりを考えることをできれば、一日の終わりを考えることは尚たやすいはず。
今日一日が終わるとき、何を思って眠りにつきたいか考えましょう。
私は、できる限りの努力ができたと思って眠りたいです。
どうすればそう思えるか。また考える。
日々の活動は、
社会的、立場的に義務としてやる活動
自分の成長のためにやる自由な活動
の2つに分けられる。
活動は仕事、勉強、家事、趣味、娯楽などに置き換えられます。
次にそれぞれの活動に優先順位を与え、覚醒している時間内に終わらせることができるように予定を設計する。そしてこのとき、前日よりもわずかに多くノルマを課すことが肝要です。この前日とのわずかな差こそが、後々の成長として現れるから。
そしてその計画を達成できたとき、その日できる限りの努力ができたと満足して、眠りにつくことができるのだと思います。
十分に終わりのことを考える
一日の終わり
夏休みの終わり
そして人生の終わり
それぞれの終わりを考えることで、今日の背筋が伸びるのです。
さて、〈物事の終わりを考えて生きなさい〉という教えはたくさんあります。
本日は最後にその中から、趙炳華という韓国の詩人の詩を紹介します。
「別れる練習をしながら」(茨木のりこ訳)という詩です。
別れる練習をしながら 生きよう
立ち去る練習をしながら 生きよう
たがいに時間切れになるだろうから
しかしそれが人生
この世に来て知らなくちゃならないのは
〈立ち去ること〉なんだ
なんともはやのうすら寒い闘争であったし
おのずからなる寂しい唄であったけれど
別離の段取りを習いつつ 生きよう
さようならの方法を学びつつ 生きよう
惜別の言葉を探りつつ 生きよう
人生は 人間たちの古巣
ああ われら たがいに最後に交わす
言葉を準備しつつ 生きよう
友人も先生も親も、いつの日かは別れるときが来ます。そのときに交わす言葉をどのようなものにしたいか、考えてみることで日々の接し方は変わるはずです。
人だけでなく、あらゆる環境や仕事にも、いつの日か別れる日が来ます。そのとき、自分がどのような言葉を持って有終の美を飾りたいか、考えることで日々の態度は変わるはずです。
さあ、夏休みです。
8月31日を迎えたとき、自分がどのような言葉でこの夏休みを語りたいのか。
夏休みの終わりを十分に考え、日々の行動に移してみませんか?
担任助手5年 青島健人