ブログ | 東進ハイスクール 吉祥寺南口校 大学受験の予備校・塾|東京都 - Part 94

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2022年 3月 24日 ラストチャンス

こんにちは。担任助手の石川です。

今年も受験が一通り終わりました。

私にとって3回目の大学受験です。

何回携わっても受験は厳しいな、と思います。

みなさん新学年に上がる時期が勝負です。

新学年に上がるとき、気持ちが切り替わりますよね。

その切り替えをうまく受験勉強に生かしてください。

新学年に上がるのに去年から勉強時間が少しも伸びていない人、危機感を持ちましょう。

勉強をするのが辛いと思う人もいるかもしれないけど、受験(特に一般受験)では勉強が全てです。

勉強をしなければ当然落ちる。

量に勝る質などありません。

勉強時間を伸ばす余地がある人は質を考えるよりも時間を伸ばしましょう。

対して勉強をしているそぶりがないのに学校で頭がいいあの子。

絶対にその子は幼い頃から地道に勉強を続けてきているはずです。

例えその子が勉強をしている、辛いことをしている、という意識がなくとも。

その違いを埋めるにはより早く勉強を始め、誰よりも勉強をするしかありません。

まだ春休みが残っている今がラストチャンスです。

頑張ってください!!

2022年 3月 21日 手紙 過去〜

自分で勉強を進めていく

◉受験全般でうまくいったことや思うようにいかなかったこと、勉強法について教えてください。

 自分の受験勉強を振り返ってみてよかったことはやはり、高1の時から部活(軟式野球をやっていました)との両立を意識しながら自分で勉強に対するスタンス(学習方針)を自分で決めて継続的な学習を行えたことだと思います。

 受験勉強の進め方の一般的なセオリー、周囲の人の平均的な勉強量やオススメ・有名参考書など基礎的(と思われる)情報はちゃんと収集しつつ、結局は一番自分のことをわかっている(と思っている)自分自身が自分にとって最適であろうと判断した指針・教材に従って勉強を続け、また校内試験や予備校の模試などで受験競争における自分の相対的な立ち位置を確認しつつ適宜自分の判断で勉強の重量の調整をしていけたことが、実際の学力向上にも受験直前期における精神的安定にもつながったのだと思います。
(要は自分で考えてやった勉強が力になるんだなーと感じた、ということ)

 思い返してみれば受験について色々アドバイスしてくださる先生方や先輩、友人らもいたのですが彼らの意見を参考にしてその通りに自分の勉強のやり方を変えた、みたいなことはほとんどなかった気がします(合格体験記の類のものは読んだこともありませんでした)。むしろこれこそが受験勉強生活の中で個人的に最も大事にしていた姿勢だったのではないか、という気もしています。
優秀な先生や知人のアドバイス通り学習をしてそのやり方が自分にあっていれば勉強はできるようになると思いますが、精神的な側面を見るとやはり自分のチカラで学習を積み立てて来た人の方が何かにしがっているところがある人よりずっと安定しているのだと思います。

 以上で一番言いたかったことは終わったので、以下では自分の実際の勉強の仕方を大まかに振り返っていきたいと思います。一例として参照いただき、誰かの参考になるところがあれば何よりです。

 

前提

 自分が皆よりも少ない努力で皆より多くのことが学べるような人ではないことはわかっていたし、何事においてもスパートで馬力が出ない人(マラソンの最後の100メートルでめちゃくちゃ抜かされる、高3の最後の踏ん張りが効かない人)だということもわかっていたので、自分は勉強をみんなより少し早く始めることにしました。フライングしておけば他の人と最後のスパートで勝負しなくてすむ。あと、変にあたふたしなくてもすむしちょっと疲れた時になんなら一回立ち止まることもできる。気持ち的に余裕ができます。

それぞれの時期の勉強

・〜高2部活引退(11月)

 周りの人たちはほとんど勉強していないに等しい。自分もダッシュはせずに隙をみて1、2歩進む感じ。無理はしない。この期間に学校の授業を真面目に受けて、小テスト・定期試験・校内模試のたびに試験範囲・既習範囲の復習を繰り返してから試験に臨めば既に十分アドバンテージ。自分は高1の時から部活に支障をきたさない範囲でさらに勉強をするために東進ハイスクールで授業を受け始めた(実際周囲の皆も塾に通い始めるのはこの頃だった)。
英語と数学の授業をとって基礎固め+α。高2くらいから現代文の授業もとってみたらあたり。現代文という教科をしっかり認識できた。国語(古典)と理科と地理は既習範囲を押さえておけば十分(なんなら古典はここまででほぼ勉強終わり、あとは多読と筆記演習だけになっているはず)。

 

・部活引退後〜

周りの人たちも勉強に本腰を入れ始める。自分もパンクしないように自分が消化できるだろうと思った分だけ授業をうける。自分のモノにならない授業はドブに捨てているの同じ。やることが多すぎると本当に必要なものが見えなくなる。
数学、英語は月並みに。国語はほぼ必要ない(現代文は適宜)。メインはやっぱり理科二科目。最後の方(センター準備前)は理科と英語音読の記憶しかないといっても過言ではない。

 

・センター本番あたり〜

終わりが見えてきたせいか緩みがち。踏ん張りが効かないとは言いつつも努力はする。

 

こんな感じです。

 

◉後輩への一言アドバイス、入試を終えて思うこと

 周囲の方々の支えを実感し感謝しつつもその人たちに判断を任せてしまうのではなく最終的には自分の判断を信じて、やることやらないことの取捨選択をしていくのがいいのではないかと思います(参考書なども同様)。また、焦らずに的確な自己分析を行いその時するべきと思うことを着実に積み重ねていけば「頭がいい」人でなくても大丈夫なのだと思います。あまりウロチョロせずに腰を据えてまともな努力をしてさえいれば、大学入試は決して越えられない壁ではないと思います。
頑張れ!!!

 

 

高3 今井

 

 

2022年 3月 20日 音読について

こんにちは!

担任助手1年の松本です。

今回は英語学習における音読についてお話させてください。

皆さんも一度は音読やその重要性について聞いたことがあるのではないでしょうか。

音読はリーディング力だけでなく、リスニング、スピーキング力も伸ばすことができます。私も、音読なしでは英語は伸びなかったと確信しています。

私が受験生時代行っていた音読方法について少し共有します。

まず、ネイティブの音声を聞くこと。間違った発音で音読しても意味がありません。始めは正しい発音でネイティブの読む英語を追いかけられるようにしましょう(シャドーイング)。それから自分で発音も速度も音声と同じように読む練習をする。

ネイティブと同じ速度で喋ることができれば、その速度で読めるし聞けるようになります。

ここでひとつ注意事項です。英語が苦手な人ほどやってしまいがちですが、無心で音読することは絶対しないでください。一つ一つの英文の意味を考えながら読まないと何の意味もありません。分かっているつもりでも、毎日やっているとだんだん考えずやってしまいがちなので気を付けてください。

音読は苦手な人ほどたくさんやるべきです。ずっと机に向かっているのもいいけれど、たまには立たないと逆に疲れます。

東進生の皆さんは気晴らしに音読室に来ることをお勧めします!

2022年 3月 19日 収穫

こんにちは、担任助手の丸山です。

もう3月ですね。気付いたら自分ももう大学3年生になってしまいます。

みなさんも無事に学年が一つ上がることとなると思いますが、この1年間で何か得られたでしょうか。

かく言う自分は確たるものが得られてはいませんが、自分に余計な期待はするな、ということを学びました。

 

さて、少し1年間を振り返ってくれたでしょうか。

自分の得られたものも大したものではないので偉そうなことは言えませんが、何も見えない人はしっかりと振り返ってみてください。

その中で、反省点や後悔が見えてくるでしょうか。

見えない人は尊敬します。色んな意味で。

ほとんどの人が「こうすればよかった」、「しなければよかった」などあると思います。

これは、立派な、1年間で得られたものです。

こういった反省や後悔を生かして、新しい一年間に臨んでいってください。

必ず、今年度よりも一段階上の収穫が得られると思います。

もちろん、毎年反省や後悔は出てきます。

しかし、それは成長の証だと考えましょう。

このような反省や後悔は、確実に1年前よりもランクアップしたものになっています。

 

今回は少し抽象的な話なので、みなさんなりに解釈して生かしてくれたら幸いです。

新たな1年間を応援しています。

2022年 3月 18日 「夜と霧」を読んで

ロシアのウクライナ侵攻が先月からはじまり、未だに過激さを増して続いていることは、平和な日本に生きる自分にとって衝撃的な出来事です。戦後に確立されてきた国際秩序がこんなにも簡単に壊されて、この後一体世界はどうなってしまうのか、見通しの立たない不安を感じます。ロシアは「ウクライナのナチ化を阻止」するために戦っているそうですが、何を根拠に言っているのか全くわかりません。

先日は菅直人元首相が橋本徹氏のことをナチのヒトラー呼ばわりして炎上しましたが、ナチを引き合いに出してけんかをするのがはやっているのでしょうか。

 

ナチに関して最も有名なものの一つがおそらくアウシュビッツ強制収容所だと思います。

ヴィクトール・フランクルが書いた「夜と霧」という本をご存じでしょうか。アウシュビッツをはじめとしたナチ占領下の強制収容所で生き延びた精神科医の著者が、囚人目線で収容所内の出来事や囚人たちの様子をレポートしたものです。私は最近友人からこの本を薦められて読んだのですが、本当に一読に値する本です。

 

この世の地獄を生き伸びた人と、死んでしまった人では何が違うのか。

当然処刑される順番や劣悪な環境により病気になるなど、運や体力も重要になってくるのですが、クリスマスの直後に死人が急増したことに著者は気づきます。急増した理由は、多くの人がクリスマスまでには家に帰れるだろうと思い込んでいたにもかかわらず帰してもらえず、状況は悪化する一方で、生きる希望を失ったからです。病は気からというのは本当のようです。

 

そして著者は、自分の精神世界に逃げ込み、その中に生きる目的を見いだした人が生き延びたと述べます。身体の屈強さはあまり関係がなく、内的世界を如何に豊かにしていたかが重要だといいます。クリスマス後に亡くなった人は収容所の外にのみ生きる目的を見いだしていましたが、生き延びた人たちは収容所内での生活の中にすら生きる目的を見いだしていたのです。

 

少し長いですが著者の言葉(霜山徳爾訳)を引用します。

「(前略)強制収容所における人間を内的に緊張せしめようとするには、先ず未来のある目的にむかって緊張せしめることを前提とするのである。囚人に対するあらゆる心理的治療や精神衛生的努力が従うべき標語としては、おそらくニーチェの「何故生きるかを知っている者は、殆どあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ」という言葉が最も適切であろう。(中略)反対に何の生活目標をももはや眼前に見ず、なんの生活内容ももたず、その生活において目的も認めない人は哀れである。彼の存在意義は彼から消えてしまうのである。そして同時に頑張り通す何らの意義もなくなってしまうのである。」

 

何故生きるのか、何のために生きるのかを精神世界の中で探り続け、収容所の中にさえ生きる目的を見いだすことのできた人は、たとえ想像を絶するこの世の地獄の中でも生き延びることができるのです。

この本の中で起こることは凄惨な悲劇ばかりですが、読み終わった後は不思議な感動を覚えます。人間が持つ強さの核心と、その強さを獲得するに至る様子を描いているからです。

 

この本から学ぶことはたくさんあります。現在の私たちの生活を振り返ってみればどうでしょうか。大学に行くために受験するのか、受験するために大学に行くのか、人のための経済成長なのか、経済成長のための人なのか、少しでも気を抜くとすぐに目的を見失います。

ましてや何のために生きるのかなど、考える余裕もないですね。

 

しかしこのままでは、肉体的には死なずとも、精神が死に、自分の存在意義を殺してしまいます。頑張れることも頑張れなくなってしまいます。なんとなくこの世界に漂う生き辛い雰囲気も、原因のひとつにはこういったことがあるのではないでしょうか。

 

受験生も社会人もお年寄りもロシアの大統領も、日々何のために生きるのかということをお互いに考えたいですね。

 

アンパンマンのOP曲を思い出してください。我々は0歳のときからそれを問われ続けています。